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奈良県における自動車は、鉄道各駅の主要駅と山間部とを結ぶ交通機関として登場し、大正6年5月25日、松山自動車商会が大宇陀・桜井間に1日5往復の運行を開始しました。これが県下バス事業のはじまりです。

宇陀郡(現在の宇陀市)では、大正12年に植田自動車、13年に宇陀吉野自動車商会が開業、吉野郡では、8年に南和自動車が下市口・五条間等を開業したのを皮切りに、郡内一円に路線を拡張、12年大南和自動車となりましたが、15年に解体して吉野川上自動車、吉野自動車、南和乗合自動車の3社が発足しました。また、13年には普賢自動車、14年に大峯自動車が開業しました。磯城・高市両郡では、12年に共和自動車が開業し、その後、添上・山辺両郡の山間部に路線を拡充しました。奈良市内では、昭和3年に奈良市街自動車が国鉄奈良駅・春日大社前を開業し、これが本格的な市内バス事業の最初となりました。4年からは、奈良市周辺では奈良自動車、添上郡・山辺郡では昭和自動車と足達自動車、北葛城郡では高田町バス、宇陀郡・吉野郡では参急自動車、大阪電気軌道吉野線自動車、都司自動車がそれぞれ設立されました。8年には、自動車交通事業法が施行され、県下のバス事業者は28、免許路線は13,263キロ、車両は237両となりました。

その後も、各社の設立・統合を繰り返し(年表参照)、昭和18年7月1日、奈良自動車が吉野宇陀交通、普賢南和乗合自動車、大峯自動車、吉野自動車の4社を合併し、同月23日、奈良交通株式会社が県下唯一のバス会社として発足しました。この年から太平洋戦争が激化し、人員・資材の不足が深刻になりました。県下にも空襲警報が連日発令されるなか、運行の確保にむけて懸命の努力が続けられました。

昭和20年に太平洋戦争の終結後、燃料や資材不足で厳しい時期が続きましたが、21年末には僅かながらガソリンの配給も復活しました。しかし当時はほとんどの車両が木炭を燃料としており、配給ではその30~40%ほどしか確保ができなかったため、入之波や十津川で雑木林を買い取り、木炭の生産を自ら行うことで可動車両を確保しました。車両事情の好転とともに、戦前からの路線を復活・新設・延長していくことができました。

30年から48年にかけての高度経済成長期により、当社は大きく躍進し、昭和40年代までは、新興市街地の発展や住宅団地の開発等に応じて路線の新設延長等が続きました。しかし、モータリゼーションの進展による道路渋滞などによって円滑な運行が妨げられるようになり、交通事情に適した運行系統の再編等が行われました。昭和48年には奈良県の人口はちょうど100万人を突破し、特に人口増加の著しかった北西部においては路線の新設や延長などが行われました。また、平成3年には、北和、中和地区は大阪のベッドタウンとして発展するなか、輸送人員はピークを迎えましたが、これ以降は、マイカーの更なる普及や過疎化、少子高齢化などの影響で旅客は減少し、近年はピーク時の約半分となるなど、バスを取り巻く環境は年々厳しさを増しています。現在、当社では、奈良県をはじめとする各関係自治体との連携を図りながら、地域の特性に応じたバスのあり方を検討し、路線の維持に努めています。

平成29年5月、奈良県でバスが走り始めて100周年の節目を迎えます。今後も、社是である「お客様第一」のもと、「安全・安心」をさらに推進し、公共交通機関としての社会的責任を果たすよう努力してまいります。皆様におかれましては、なお一層のご愛顧を賜りますよう、お願いいたします。

奈良県におけるバス事業

昭和18年から昭和64年

昭和18年から昭和64年

平成元年から現在まで